ホームmMIS>コラム 少年と大きな町 


眠りなさいといわれたのに、なかなか眠れなかった。線路の響きが耳についてはなれない。響き

は重くなったり軽くなったりした。間隔が広くなったり狭くなったりもした。速度が増すとひと

つながりになって、やがて消えて行くように思えた。でもそれはいつまでも続いた。

乗客は少なく、話し声は聞こえなかった。座席の背もたれから車内を見まわした。うしろの席は

あいていた。前方にいくつか頭だけがのぞいている。だれもが物音を立てず、じっと座っていた。

窓に自分の顔と、母親、祖母の姿が映っていた。遠く明かりがぽつりぽつりと見える。影が深い

のはきっと家の背後に森や丘があるのだ。空の高みとは夜の濃さが違っていた。明かりはゆっく

り、ひとつずつうしろに流れて行った。

停車するたびに首を伸ばしてプラットホームを見た。乗り降りする人はほとんどいなかった。駅

員が身振りをし、ベルが鳴り終ると、汽車はうしろに大きく揺れて、それから再び走り出した。

「あついね」

祖母が中腰になって窓をあけた。トンネルにはいるとき閉めたきり、あけるのを忘れていた。

「まだトンネルはあるかね」

「まだあるよ。三つ続くところもある」

「すぐ閉めなきゃ。それからすぐあけて」

「煙がすごいよね」窓から顔を出そうとして、母親に止められた。

「あぶないじゃないの」母親はいうと「寝ないとあとで困るよ」と注意した。

汽笛が鳴って、踏み切りを通り過ぎた。シグナルの音が忙しくしりすぼまりに流れて行く。

「長いね」祖母が窓に目をやった。

「半分は過ぎましたよ」母親も流れる明かりを追った。髪が風に激しく揺れ、手のひらが顔を静

かに覆った。

 

病院は遠くの町にあるので、しょっちゅう見舞いには行けなかった。でもあの大きな町に出かけ

ることを思うと、心が浮き立つ。そこには動物園やプラネタリウム、お城に空港、それに、プロ

野球の球場もあった。病院に行ったついでに寄って帰ることができればどんなにいいだろう。父

親の入院が決まった頃、友だちに野球の試合を見に行ったと聞かされたことがあるのだ。友だち

は巨人軍の王選手がホームランを二本も打ったと得意げに話した。うらやましそうな様子は見せ

なかったけれど、これからときどき見舞いに行くから、野球にも連れていってもらえると思う、

と少年は遠慮がちにいった。すると友だちは、巨人戦でないとおもしろくない、巨人戦の切符は

なかなか手に入らないんだ、といった。少年はすっかり自信を失ってしまった。前売り券という

ものもはじめて知った。母親に巨人戦の前売り券を買ってほしいなんて頼めそうになかった。大

きな町には遊びに行くのではないのだ。

 

あの日、夜行で病院に行った翌日、駅の近くのデパートで食事をした。野球にくらべれば物足り

なかったけれど、それでもうれしかった。前から一度「お子様ランチ」を食べてみたいと思って

いたから。デパートの最上階にある食堂からはビルの連なりが遠くまで見渡せて、町の大きさに

あらためて目を見張った。ショーウインドウにはどんな料理でも揃っているように思えた。一通

り全部見た。でも心は決まっていた。チキンライスにはちゃんと日の丸がさしてあった。

「急だったね」

はなしが耳に入ってきた。聞き取れないところもあったけれど、父親のことらしかった。二人は

ろくに食べていなかった。ひとりだけ豪華な食事をしている気分だった。

「一か月で退院のはずだったのに」

駅で見送ったときの父親を思い出した。背広を着ていた。ふだんと変わらない恰好をしているの

で不思議だった。身の回りのものを風呂敷に包んで母親が付き添っていた。ベッドの父親は、寝

巻からのぞく手足が細くなって、一か月のあいだにすっかり病人らしくなっていた。

「おいしいか」

「おいしい」いい加減な返事をした。

「心配しなくていいよ」

「うん」またいい加減な返事をした。

口についた食べ滓を母親がハンカチで拭った。されるままに母親を見て、祖母の顔も見た。

「ゆっくり食べな」祖母はほほえんで、大きな町に来れてうれしいだろ、と付け加えた。

 

母親を残して、午後の汽車で帰った。祖母は表情を閉じて座席に揺られていた。少年は夕暮れの

景色を眺めながら、昨夜から今日までのことを友だちに話したものかどうか考えていた。病院に

行って帰ったら、大きな町の様子を話してやろうと張り切っていたのだ。でも、話せそうになか

った。デパートで「お子様ランチ」だなんて馬鹿にされるだけだ。それに、なんだか、話しても

ちっともうれしくないような気がするのだった。

 

 

 

大きな町に憧れていた少年です。

 1959年(昭和34年)9月、台風15号(伊勢湾台風)の翌日。

 中学校の桜の木が根こそぎ倒れました。

MTs

 

 

 



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